2025年09月

バーゼルフェアで3つのプロトタイプ・シンプリシティを発表した。

3本のうち、ふたつはギヨシェダイヤルのホワイトゴールドモデル。ひとつはデュフォー氏本人が個人的に所有し、もうひとつはのちにフィリップ・デュフォーの日本代理店であるシェルマンの、当時の社長だった磯貝吉秀氏に贈られたという。そして残る1本が、ホワイトラッカーダイヤルのピンクゴールドモデルだ。これらの時計(デュフォー氏所有のもの以外)は2000年のバーゼルフェア後、フィリップ・デュフォーの時計を求める顧客に見せるための展示ピースとしてシェルマンに預けられたのだという。オークションに出品されたのは、ホワイトラッカーダイヤルのPGモデルだった。そしてオーナーは、その時計をデュフォー氏本人とシェルマンの許可を得て出品したようだった。

磯貝氏に贈られたという、もうひとつのプロトタイプ・シンプリシティはいまも彼が所有していた。別件で磯貝氏にコントタクトを取る最中、筆者は彼が所有するというプロトタイプ・シンプリシティを見せてもらう機会を得た。時計はもちろん素晴らしいものであったが、それ以上に興味深いこの時計にまつわるバックストーリーを知ることができた。

「コロナ禍もあって僕が仙人みたいな生活をしているあいだに、あのプロトタイプのシンプリシティはそんなことになっていたんですね」

ご存じの方も少なくないと思うが、磯貝氏は2018年にシェルマンの代表取締役を退任した。その後はどうやら時計業界とは積極的に関わることなく過ごしていたらしく、プロトタイプ・シンプリシティのひとつがオークションに出品されていたことは今回の取材があるまで知らなかったようだ。そもそも2本のプロトタイプ・シンプリシティはどのような経緯で磯貝氏に、シェルマンに贈られたのだろうか。彼は快くその詳細を語ってくれたが、その全貌を知るには、デュフォー氏と磯貝氏の関係についても少し知っておく必要がある。

時計師たちが嬉々としてこだわりの時計を作り発表していたアカデミー黎明期
 1980年代終わり頃からバーゼルフェアを訪れるようになった磯貝氏は、当時スヴェン・アンデルセン、フォルジェという独立時計師ブランドを扱っていた関係で、1987年から出展していた独立時計師アカデミー(通称はアカデミー。1985年に設立)のブースへも当初から通っていた。当時の独立時計師たちの評価はいまとは異なるもので、それほど注目されることもなく、メインホールから離れた倉庫のような会場(ホール5)の片隅で自身のこだわり満載の作品をひっそりと展示・発表しているような状況だったという。

 1990年代になると、日本では時計ブームが起こり時計専門誌が次々に創刊されたが、超絶技巧が光るアカデミーメンバーたちの作品は日本の時計愛好家たちの嗜好にマッチ。アカデミーと懇意にしていた磯貝氏が協力して日本のメディアが取材に訪れ、独立時計師の作品が日本に紹介されるようになり、次第に日本以外でも名声を得るようになっていった。そのなかで磯貝氏と付き合いを深めていった独立時計師のひとりがフィリップ・デュフォー氏だった。

 「グラン&プチソヌリ ミニッツリピーター(1992年発表。83年にデュフォー氏が作り上げた懐中時計版ムーブメントを腕時計サイズに縮小して完成)、デュアリティー(1996年発表)と、ユニークな時計を作っていることはもちろん知っていましたが、実はデュフォーさんとのお付き合いが本格的に始まったのは2000年からでした。その年のバーゼルフェアで新作として発表されたシンプリシティにひと目惚れして、ぜひ取り扱わせて欲しいとオファーをしたのがすべての始まりです。そして会場で展示されていたのが、プロトタイプのシンプリシティでした」(磯貝氏)

 当時のデュフォー氏は孤高の人という印象だったらしく、代理店を望まず、直接エンドユーザーに自身の時計について説明し、本当にその時計を理解できた人にしか売らない、というようなスタンスだったそうだ。デカ厚時計が全盛のなか、34mm(37mmモデルも当初から作られていた)という小さなサイズで、ヴィンテージのパテック フィリップのような最高の職人の手で丹精込めて徹底的に作りこまれた、繊細でありながら力強く美しいシンプリシティに感銘を受けた磯貝氏は、自身の時計に対する考え方や、日本の時計愛好家のことなどさまざまなことを熱心に彼に伝え、デュフォー氏の作品を取り扱わせて欲しいとお願いした。それに対し、デュフォー氏は磯貝氏の考え方を高く評価し、その提案を喜んで受け入れてくれたという。

自身の工房から窓越しに外を眺めた様子を再現したバーゼルフェアでフィリップ・デュフォー氏の展示ブース。2000年。写真は磯貝氏の提供。
 シンプリシティの価格は、当時の価格で3万4000スイスフラン(当時の日本での販売価格は約280万円)。いまの感覚からすると破格の印象だが、当時のデュフォー氏は一部の好事家だけが知るような存在で、しかもシンプリシティに比肩する素晴らしい作りを持つパテック フィリップのRef.3796が100万円前後で手に入った時代だ。シンプリシティに関心を持つ人はいても、その価格に尻込みする人は少なくなかった。

 そんな心配をよそに、2000年10月に当時のシェルマン銀座店を会場に開催されたフィリップ・デュフォーのフェアは大成功。そこにはバーゼルフェアの会場で展示されていた2本のプロトタイプ・シンプリシティが日本へ持ち込まれたが、それを見た多くの時計愛好家たちから好評を得たほか、なかでも意外だったのが時計職人たちまでシンプリシティに惚れ込んでいたということだ。

「フェアも成功して、注文も入りました。対してデュフォーさんは当初、1年かけて50本製作すると言ってくれたのですが、結局10数本しかできなかったんです。彼はこだわりの強い人ですからね。ほとんどの作業を自分でやることにこだわるし、作っているうちにここはこうしたい、ああしたい…となって。そうすると3万4000スイスフランという価格設定では成り立たず価格を上げざるを得なくなったり、最初の3年ほどは赤字で時計づくりも大変だったようでした」(磯貝氏)

 注文数は順調に延びていきビジネスとしては順調だったが、時計づくりのほうはスムーズにいかなかったようだ。シンプリシティは200本(当初は100本、その後追加で100本が製作されることになった)製作したらを販売終了としていたが、最後の時計が製作されたのは2013年。2000年の発表から13年もかかったことは、時計好きの方ならご存じだろう。2005年には予約も埋まり、納品は1年、2年と伸びていき、なんと最終的には8年待ちという状況に。そのあいだも、磯貝氏はデュフォー氏の工房をたびたび訪問して彼の時計づくりの状況を伝えたほか、心待ちにしている顧客のためにデュフォー氏からグリーティングカードを送ってもらえるように依頼するなど、心を砕き苦心したという。

「販売が終了したので本来ならプロトタイプは返却しないといけないわけですけど、それこそ何千人という方に紹介してきた時計ですからね。名残り惜しいというか、思い入れが強くなって返すのが惜しくなってしまったんですよ。そこで彼にプロトタイプを売って欲しいと言ったところ、それまでの僕の活動に感謝を込めてプレゼントするよと。どっちがいいかと彼に言われたんですが、デュフォーさんとお揃いになるねということでギヨシェダイヤルのホワイトゴールドモデルをいただくことにしました。そしてもう一方のピンクゴールドモデルも譲り受け、会社に保管しておくことにしたんです」
 そうして磯貝氏の手にやってきた2本のプロトタイプ・シンプリシティ。実は製品版とは異なるところがいくつか存在していた。もっとも大きな違いはテンプ。製品版はチラネジテンプ仕様だったが、なんとプロトタイプはジャイロマックステンプを載せていたのだ。また、通常はシリアルナンバーが刻印されるプレート部分はプロトタイプでは数字がなく、ブランク状態になっていた。

「時計を譲ってもらう際に、製品版と同じように入れ替えて渡そうかとデュフォーさんから言われたんですが、この時計に思い入れがあるから、そのままでいいと伝えました。ただ、もう13年以上も経っている時計でしたからね。じゃあオーバーホールだけはしておこうかということでデュフォーさんに時計を戻したんですが、そのときにシリアルナンバーが刻印されるプレート部分にホワイトゴールドモデルのほうは“Yoshi”、 ピンクゴールドモデルのほうには“000”と彼自ら刻印してくれたんです」

 そして冒頭のPGモデルのプロトタイプ・シンプリシティである。本来であればこの時計はシェルマンに保管されているべき時計のはずだが、磯貝氏のもとに熱心に通っていたあるコレクターの方にどうしても譲って欲しいと頼まれ根負けし、絶対に手放さないことを条件に譲ることになったのだという。
 

ジャガー・ルクルトはふたつの独立した輪列によって構成される革新的なモデル。

ジャガー・ルクルトが2007年に発表したデュオメトルコレクションは、計時用とコンプリケーション用にふたつの香箱と独立した輪列を備えた斬新なものだった。今年、ジャガー・ルクルトはデュオメトル・クロノグラフ・ムーンを筆頭に、新たなデュオメトル3型をリリースした。プラチナケースにコッパーダイヤル、またはローズゴールドのケースにシルバーオパーリンダイヤルのモデルが用意されたクロノグラフ・ムーンは、従来のデュオメトルをベースに、クロノグラフ、ムーンフェイズ、デイナイトインジケーター、6分の1秒計を搭載した新しいジャガー・ルクルト製Cal.391を搭載している。

また、デュオメトル・クロノグラフ・ムーンに加え、デュオメトルのラインナップに2型の時計が投入される。カンティエーム・ルネールの新型と、ヘリオトゥールビヨン・パーペチュアルだ。

プラチナ製のデュオメトル・クロノグラフ・ムーン。
さて、デュオメトル・クロノ・ムーンにフォーカスしてみよう。Cal.391はこれまでのデュオメトルをベースに、ムーンフェイズとデイナイトを組み合わせたモノプッシャークロノグラフであり、ふたつのパワーリザーブ表示とフロドワイヤント(1秒で1回転、6分の1秒刻みでジャンプするクロノグラフ針)を備えている。デュオメトルの革新的な特徴はそのままだ。ふたつの香箱と独立した主ゼンマイが計時とコンプリケーションを司っているが、それらはひとつのキャリバーと脱進機に集約されている。フロドワイヤントはクロノグラフが作動すると同時に回転を始め、6分の1秒単位の計測を可能とする。


Cal.391は、部分的にオープンワークが施されたダイヤルから確認することができ、サファイアのシースルーバックからはその全貌を見ることができる。ムーブメントの一部は透かし彫りになっており、これにより組み立てが容易になっているとジャガー・ルクルトは説明している。ムーブメントには、サンレイパターンのジュネーブ・ストライプなどさまざまな仕上げが施されているように見える。この手巻き式ムーブメントは(各香箱で)50時間のパワーリザーブを備え、振動数は2万1600振動/時だ。

ローズゴールド製のデュオメトル・クロノグラフ・ムーン。
デュオメトル・クロノグラフ・ムーンのケースサイズは直径42.5mm×厚さ14.2mmで、ケースにねじ込まれたラグを含む34個の部品で構成されている。ケース表面にはポリッシュ、サテン、マイクロブラスト仕上げが混在し、防水性能は50mとなっている。

プラチナ製のデュオメトル・クロノグラフ・ムーンの希望小売価格は1425万6000円(税込)、ピンクゴールド製のモデルは1161万6000円(税込)だ。
そして、これだけでは終わらない! デュオメトル・クロノグラフ・ムーンとタイミングを同じくし、ジャガー・ルクルトはカンティエーム・ルネールにもアップデートを施した。従来のものと同様にCal.381を搭載しながらも、今作ではクロノグラフ・ムーンのケースに合わせてリニューアルされたスティール製のケースを採用しており、ブルーのオパーリンダイヤルを備えている。

最後になるが、ジャガー・ルクルトはデュオメトル・ヘリオトゥールビヨン・パーペチュアルカレンダーも発表する。ヘリオトゥールビヨンは、あらゆるポジションで重力の影響を補正するように設計されたジャイロトゥールビヨンの独創的なアイデアを極限まで発展させたものだ。円筒形のヒゲゼンマイを備え、3つのチタン製ケージが3軸で回転する。最初のケージはテンプに対して90°の角度にセットされ、テンプから見て垂直に回転している。ふたつ目のケージはひとつ目のケージと90°の角度をなし、3つ目のケージはさらにふたつ目のケージと垂直に設置されていて60秒ごとに1回転する。これらはすべてセラミック製のベアリングによって支えられており、163個の部品で構成されている。デュオメトル・ヘリオトゥールビヨン・パーペチュアルは20本限定で、希望小売価格は40万ユーロ(日本での価格は要問い合わせ)となっている。

我々の考え

SS製に刷新されたカンティエーム・ルネール。
今年のジャガー・ルクルトは、さながら2007年のときのような盛り上がりを見せている。私は同ブランドを愛しており、昨年のレベルソ・クロノグラフはWatches & Wondersで発表された時計のなかでも特に気に入っている。デュオメトル・クロノグラフ・ムーンのような時計は、時計愛好家たちをそれほど興奮させるものではないかもしれない。だが、卓越したウォッチメイキングによって、このように魅力的な時計が誕生したのだ。Cal.391は、Cal.381(今年ラインナップに加わったものも含め、既存のカンティエーム・ルネールに採用されている)をベースに、クロノグラフとムーンフェイズの複雑機構をその他の要素とともに組み合わせたものである。


デュオメトルは、レベルソともポラリスともマスターコレクションとも異なるものだ。しかし、それでいい。それはそれで素晴らしいのだ。デュオプランムーブメントを生み出した1925年であれ2024年であれ、ジャガー・ルクルトほど複雑で素晴らしい時計づくりをしているビッグブランドはそうそうないだろう。

基本情報
ブランド: ジャガー・ルクルト(Jaeger-LeCoultre)
モデル名: デュオメトル・クロノグラフ・ムーン
型番: Q622252J(ピンクゴールド)、Q622656J(プラチナ)

直径: 42.5mm
厚さ: 14.2mm
ケース素材: プラチナ、もしくはピンクゴールド
文字盤色: コッパーオパーリン(プラチナ)、シルバーオパーリン(ピンクゴールド)
防水性能: 50m
ストラップ/ブレスレット: アリゲーター

ムーブメント情報
キャリバー: 391
機能: クロノグラフ、12時間積算計、60分積算計、1/6秒表示、ムーンフェイズ、デイナイトインジケーター、ふたつのパワーリザーブインジケーター
パワーリザーブ: 50時間(各香箱ごと)
巻き上げ方式: 手巻き
振動数: 2万1600振動/時
石数: 47
追加情報: デュオメトルに使用されているムーブメントはふたつの香箱とふたつの独立した輪列を持ち、時計の計時とコンプリケーションを別個に制御している

価格 & 発売時期
価格: ピンクゴールドは1161万6000円、プラチナは1425万6000円(ともに税込)